(昭和の)警備員

昭和で言うと40年代、1970年代後半頃の話。神戸市電が廃止されて、最後まで残っていた板宿線の下をくぐっていた地下道を一旦廃止、新たな市電*1の工事が始まるったころ。通学路だった地下道がなくなるので、工事現場には警備員が配置された。この警備員の一人がカメラを抱えていて、通学する小学生の写真を撮影、現像プリントしては写真の中の人物を見つけて渡していた。写真を撮ってくれる子供好きな警備員として親しまれていた。結構な枚数を配っていたので相当な出費になったと思うが、カメラと子供が好きだったんだろう。今の時代にそういう警備員がいると子供の写真をとりまくる危ない人と見られるのだろうか。
海外出張で欧米に行って警備員(と思われる人たち)を見ると明らかに警備しかしていないように見える。日本の警備員は、店に入ってくる客に挨拶したり、掃除したり、カートを片付けたり、警備員の服を着た店員のような感じである。警備の仕事がどこまでか、ちゃんと既定されていないのだろうか。